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自分にとって特別好きなというわけじゃないけど別に嫌いでもなく、一応聞いておくか、という種類の音楽というのは、たとえばそれがディスク・ユニオンで1000円以下だったりすると、何の気になしに購入しがちだ。そんなわけで、大してファンでもないのに間違えて2枚買ってしまった中古盤がぼくの吉祥寺の部屋には何種類か転がっている。そんな感じで、フナックで安売り(7€弱)していたピチカート・ファイブを衝動買いしてしまう。たぶん持っていないやつだと思うけど、自信はあまりない。
ピチカートを聞くと、ぼくが受験勉強に励んでいた90年代の半ばを思い出す。勉強しながらα-stationという地元のFMをよく流していたのだけれど、そこでよくかかっていた記憶がある。東京は夜の7時、という歌詞を、梅田は夜の7時、とか、丸太町は夜の7時、とか勝手に歌い替えていた(通っていた予備校は丸太町にあった)。当時、東京で大学生活を送るなんてちっとも考えていなかった。一片の憧れすら、ぼくは抱いていなかった。 それがどういう因果か、たまたまひとつだけ受けた東京の大学に行くことになった。六畳一間二人部屋の県人寮に入ったのだけれど、麻雀ばかりしている先輩に嫌気がさして、その反動かもしれないけれど関西弁は1週間もたたないうちに消えた。英語のサークルに没頭していたせいで、学校にはほとんど顔を出さなかった。もともとぼくは英語と国語が得意科目で物理が壊滅的に不得意な人間だったのに、講義の大半が力学関係の土木学科に入学したものだから、授業という授業が苦行の連続だった。まあそうは言っても、まだ1年生の前期。さすがにそこそこ授業には出てた。そこでひょんなことから友達になったのがibaくんだった。全然優等生ではなく、かといってアウトローに転じるだけの度胸もない同士、惹かれあうものがあったのだろう、学校に行けば常につるむ仲になった。 「相談したいことがあるんだ」 秋口、彼のこの一言から、ぼくの大学生活は急展開を見せていくことになる。 (続く) ウソ、続きません。そもそもそんなエピソードないし。書き進めていったら、どういうわけかibaくんの話になってしまった。
by quaderns-bcn
| 2006-03-01 19:10
| 日本昔話
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